20200819 八海山

 こういう書きだしで、この間の渡辺新名人の復活劇を紹介しよう、というのが当初の構想だったのだが、数名の友人に将棋の基本を教えることになったので、計画変更。例によって、まとまった記事を書くのは大変なので、とりあえず書けるところから。

カードゲーマーのための将棋入門 おすすめ動画編

 プロの将棋を観戦したときにその凄さを理解したい、というモチベーションがあるということなので、まずは面白い動画(かつ将棋がわかるとさらに面白い動画)をいくつか紹介しよう。

 

 面白い将棋動画で真っ先に思いつくのがこれ。諸説あるが、個人的には渡辺名人が棋界で一番解説がうまいと思う。終盤の速度計算の基本を理解すると、より楽しめる。

 

 「伝説の▲5二銀」も有名だけど、とにかく米長永世棋聖の人間観察力がすごい。

 

 「角落ちはガチですから」。

 

 これまでに見たなかで最も印象に残っている将棋は、と問われたら、私はこの一局を挙げる。この将棋の持つ意味を語るには、対局者の抱える背景に触れなければならない。

 2017年度、当時の渡辺棋王は不調にあえいでいた。結果、プロ入り以来初の負け越しとなる21勝27敗。12月に自身の代名詞ともいえる竜王を失冠し、羽生に永世竜王の獲得、いわゆる「永世七冠」を許すと、2018年3月2日には順位戦でA級から陥落。唯一保持するタイトルである棋王戦も、3月20日の第4局で敗北を喫してカド番となり、「無冠」がちらつく。勝負は3月30日にもつれ込んだ。

 不調の原因はなにか。「堅い、攻めてる、切れない、勝ち」という言葉にも代表されるような、堅い玉形と細い攻めをつなぐ技術を軸にした渡辺棋王の棋風は、ゼロ年代後半からのトレンドを形成した一方で、コンピュータ将棋が台頭し、薄い玉形とバランスのとれた構えが隆盛する時代に合わなくなっていると評された。また、将棋ソフト不正使用疑惑騒動に関わるバッシングの影響も、ファンは見てとっていただろう。その渡辺棋王が、雁木の力戦形から51手目▲4八玉を着手する。右玉だ――。

 対する挑戦者は「努力」をモットーとする永瀬七段。当時、タイトル獲得こそ無かったもののレーティングではすでに全棋士中2位。初タイトルは時間の問題とみられていた。よりにもよってこの一局の解説は、そんな永瀬七段のライバル、佐々木勇気六段。

 この日、私は大学に出向いていた。時期的に授業はないので、なにかの手続きをするためだったのだろうと思う。用を済ませて、遅めの昼食をとるために寿司屋に入ったところで勝負が佳境を迎えたので、そこに釘付けになってしまった。日本酒を頼んで終局まで2時間くらいは居座ったのをよく覚えている。

永瀬とのエピソードを話し出したら止まらない勇気 - ニコニコ動画

才能と努力について語る勇気 - ニコニコ動画

 

 結局書いてしまった。今日はここまで。

20200813 水道水

 最後にこのブログで記事を書いたのは3年以上前になる。その年の春に心機一転、未整理のままの読ませるわけでもない文章を書く場を設けたのだが、その矢先、諸事情により文章を書くどころではなくなってしまっていたのだった。

 去年度の一年間は、一時はどうなることかと思っていたが、結果的には大学にいたころとはまた違った形で本を読むことができた。ただ、大人になると日常生活で全力疾走をする機会が無くなるのにも似たように、渾身の力でテクストを読む、ということからは少し離れていたのかもしれない。書くことについても、異様な執着を取り戻す、というのでは破滅してしまうのだが、ちょうどいい距離感をもってもう一度取り組み直す、という望みは、ずっと頭にはりついていた。

 オンライン授業や動画作成をすると、自分にはなにができてなにができないのかが、より区別された形で意識される。対面授業では並行して大量の情報を受けとって処理しているのに対して、いま自分がなにをしているのか、ということを落ち着いて反省することができるからだろう。

 そのうえで、書くことについて、もっともっと生々しい感覚、現役感をもって指導がしたい、とでも言っておこうか。そのような外的な状況が整ってきたので、「いまなら」と思って、また書き始めてみようと思う。

  最初は軽いものを、と思って、一般書ではあるが最近とても売れているらしいベストセラーを読んだので、それについて書いてみよう。

 HSP(Highly Sensitive Person、「とても敏感な人」)を、この本では「繊細さん」と呼んでいる。(p. 7) HSPという概念は近年広く浸透しているようにみられ、また、HSPの特徴といったものに私があまりにもよくあてはまるものだから(プライベートで私と親しい人ならわかるはず)、気になっていたのだ。

 ただ他方で、私は浅田彰『逃走論』を読んで以来、「神経症」という概念でそのような気質の問題を捉えてきたので、HSPという概念が喧伝されることについては、「なぜ「神経症」ではなく「HSP」という概念をわざわざ使うのか」といった疑問があった。(←というか、そもそもそういう疑問を解消するには専門書を読むべきだし、もちろん同書には適切な参考文献も挙げられているのだが、そういうことは必要になってからでよい、というのも一つの知恵だろう。)実際、この本の後半部、いわば「自己啓発」パートにおいて紹介されている諸技術は、神経症への対抗策としての「逃走」や「切断」といったキーワードで語られてきたことの範疇の内にあるものだ。

 それでは、HSP神経症との言説の差異をどう捉えればよいのか。

 一つは、神経症が社会構造などのマクロな観点と結びつけて論じられることがらであるのに対して、HSPは個人単位の生得的な性質とされていて、問題が個人化されている、ということだ。「……繊細な人が持つ「繊細さ」は、性格上の課題ではなく、生まれ持った気質の可能性が高い……」(p. 4, 強調原文)、「……エレイン・アーロン博士が行った調査により、生まれつき繊細な人が5人に1人の割合で存在することがわかってきました。」(p. 17, 強調原文)といった記述もあり、あくまで個人単位でどのように工夫して対策をとるか、ということに議論は向かっていくのである。自己責任論に加担しているようでけしからん、とは言わないが、悪い意味でナイーブだな、とは思うところだ。

 もう一つは、(おそらく)神経症は観察される症状として、すなわち行為のレベルにおいて捉えられるものであるのに対して、HSPはもっぱら知覚を問題にしている、ということだ。

 目の前のコップを視界から消すのが難しいように、誰かの気持ちに気づかないこと――気づかないフリをするのではなくて、そもそも気づかずにいること――が、繊細さんにはできません(p. 46, 強調原文)

  この点については、素朴に実践的な意味でHSP概念の有用性がみられて、個人的には好意的に受け止めているところだ。端的に個人差のようなものを積極的に扱うことができるだけでなく、「とても神経症的ではあるが、敏感だというわけではない」というような人は言われてみればたくさんいると思うのだが、そのような人と自分とを区別する観点は、あまり考えたことがないことであった。

 

 この間に読み溜めていた本が若干冊あるので、余裕ができたら書いていくかも。

4/26 CONTROL

  • 『女囚セブン』#01

 現代日本における監獄表象について考える機会だ! と思ったこともあって視聴してみたが、結論からいうと、あまり好意的にはみれない。部分的には賛同できなくもない試みは少なくないが、おそらくこのドラマ全体の脚本の流れがそうとうイマイチ。

「罪は、犯す奴が悪いんやない。犯させる奴が、悪いんどす」

 というセリフを言わされている主人公の受刑者が、実は冤罪だったという設定なのがどこまでも残念。罪を犯した「本当の悪人」がこのセリフを言うようには書くことができなかったわけだから。

 おそらく今後の展開は、しばらく各回でそれぞれの女囚の掘り下げをやって、彼女らの罪を社会化・外在化していくわけだけれども、各回を通貫する大きな物語が、主人公神渡の冤罪を晴らしてハッピーエンド、という予告されているこの筋がまた気に食わない。囚人反乱起こして刑務官数人ブッ殺したけど鎮圧されて待遇の「よかった」刑務所が吹っ飛んでバッドエンドとか、たとえばそういう微温的でない方向にはいかないだろうし。

 

 あとこっち側で勝手にトリンドルにダーティなイメージついてるのが笑える。

  • 進学懇談会

 連絡の文面では「進学懇談会」になってるのでそれに則るけれども、例の会の名前って「進路懇談会」じゃなかったっけ? 大人組のやつだけが「進路」だったっけ? いずれにせよ、事実上は大学進学についての話が大勢を占めるとしても、「進学」前提のネーミングはよくないよねぇ。

 要するに母校の高校生の前で大学ってのはこんなところですよみたいな話をする会がありまして、なりゆきで自分は過去二回お話しさせていただいていたのですが、そりゃ自分がガチで話をするわけですからそれなりに有意義な形にはなっているとは思いますけど、実は毎回終わるたびに内心ものすごく苛立っているんです。今回はその話です。

 

 そりゃ、高校生から

 この書き出しで延々悪口を書くつもりだったのですが、過去の感想アンケートを読み返していたらそういう気分が失せてしまった。

 簡単にいうと、高校生の彼らの「ゲーム」の攻略法の話がくだらないのと同様に、大学生・研究者の「ゲーム」の攻略法の話ってとことんくだらないと思うんですよ。たしかに人文学を志すことを考えている高校生に、この業界の経済的窮状をあらかじめ伝えておく必要があるのは間違いのないことだけれども、ああいう人文系研究者の自虐的なノリには自分は反吐が出るんです。そういった社会問題そのものを射程にできるような次元でわれわれは研究をやっているんだから、もっと研究や関心の内容について赤裸々に話したほうがおもしろいでしょうと。というかこの懇談会に限らず、という話です。(これはまたちゃんと書くか話すかしよう…)

 

 今年の対象学年はおそらく60th~63rdです。私に連絡いただければ、ご依頼のメールを転送いたしますので、興味があるかたはどうぞ。自分はまだ決めてはいませんが、もしお誘いがあれば是非。 

  • 『怜 -Toki-』第11局[陽動]

 ※ネタバレ注意!

 

 

 一般論から入ると、この作品では(作者自身のような)閾値の低い人ではつまづいてしまうかもしれない「性格の悪いキャラクター」を、それでもあえて書き込んだうえで、その解釈を「誤読」のほうに押しつけてしまってなんとか存在させる、というようなことが多々起こっているように思う。たとえば久、成香、チカセンなど。逆にいえば、彼らの「性格の悪さ」を読むことには、つねにコードの侵犯が付随しているということになるのだ。

 今回「凶星」であることが発覚した泉もそういう魅力のあるキャラクターの一人で、これから掘り下げられていく黒歴史と従来の描写とが相乗効果をつぎつぎに起こしていくだろうから、今後の展開が楽しみだ。

 残りのメンバーは、個人的には凶子・星羅説推し。

 

 

 最後に、昨日から再び「客間」が利用可能になったので、ぜひ遊びに来てください。

4/23 シャルトリューズ・トニック

  • ネタバレについて

 むかしの自分はそれなりにネタバレには神経質になっていたのだけれど、おそらく作品の鑑賞の仕方が根本的に変わってしまっているので、いまではほとんど気にしなくなりました。さすがに推理小説の犯人をバラされるとかそういうレヴェルのは勘弁だけど、これも古典的作品ならどうでもいいしそうもいってられない(そもそも古典推理小説を面白いとほとんど思わないし)。『咲 -Saki-』とその関連作品なんかは、必ずフラゲのバレ見てから雑誌買ってるし。

 ここでネタバレ配慮ってものをすることはほとんど考えに無いんだけど、逆に作品をみてなくてもわかるように書くための努力もあまりするつもりはないので、結果いつものわかる人はわかる文章になることが多いんじゃないでしょうか。それにかかわる言葉が鑑賞中に頭にこびりついてしまうのが嫌、っていう最大限の神経症の人への配慮はしないということです(気持ちはわかるよ)。

  • 『貴族探偵』#01

 以下ネタバレ注意?

 

 

 麻耶雄嵩の『貴族探偵』シリーズのドラマ化ということで、麻耶雄嵩が原作の時点でこれは絶対におもしろい。『貴族探偵』の原作そのものは読んだことないけど。というかそもそも麻耶雄嵩作品は『翼ある闇』しか読んだことないけど、でもこれは絶対におもしろい。

 最近このバイヤールギャグを多用してしまうのだけれども、これは伝わってるのかしら。文春にRTされたやつとか。こっちはボケてるんだから笑ってくれていいんですよ、もちろん本気でいってるのだけれども、すこしは笑ってくれないと、あたかもそれが当たり前だったかのようになってしまうから。嘲笑しようとする対象に扮する、あの下品なのとは一緒にしないでほしいけど、ツッコみ待ちだから。

 っていうことをエンドロールまで観るとわかるんじゃないでしょうか。爆笑しながら観る作品です、でも馬鹿にするものではない。

 

 ていうか、放送時にみんな口を揃えていってたけど、『翼ある闇』を読むべきなんですよ。読むべき作品。諸岡卓真の評論とセットで。この話なんかしたことあるような気がするかと思ったら『マージナリア』の第四号ですでに紹介してましたね。ダールグレンラジオに呼ばれるきっかけになったやつ。このドラマも冒頭から謎=わからないこと投げまくりだし。あと「銘探偵システム」、これが問題になる。『貴族探偵』もその線で分析できるような作品になりそうな予感。

 あと依子がよかった。今回だけのゲストだったとしたらすこし残念かも。

 指摘するまでもないけど、04わかってる人のデザインですよねー。

 考案者に献本みたいな感じで1セットこないかなあ、なんなら詠唱者の位置に《ミラ》を描き足した特別仕様で。(一応、まさか読まれてないと思って言ってるから!)

4/20 あたしはカシオラ

  • わからないものを読むということ

 むかしJKに英語を教えていたころにした話を、思い出しながら書き起こします。
 いまとなっては相当被っているんだけれども記録ということで。

 

 今回のテクストはちょっと難しかったよね、僕がどうやってこの文章を読めたのかってことは僕の説明でなんとなくわかってくれたと思うけど、自分で一から推測して同じように読めるかっていったら、正直自信ないでしょう。

 なんで僕がこの文章を読めたかっていうと要するに、だいだいこの文章はどういう話なのかってことをわかってるからなんだよね。あー、あのパターンの話ねって。だからわからない単語や箇所があってもだいだい推測がつくし文脈を外さない。きみだって、たとえば簡単な例だと、global warmingがテーマの文章だったらcarbon dioxideが二酸化炭素だってことはこの単語を知らなくても推測がつくだろうしcarbon dioxideを減らそうって文脈なのはだいたいわかるでしょう。

 だから僕が普段、文章のテーマや単語とかにかこつけて関係ないことをいろいろたくさん話すでしょう。あれはもちろんほかのことにも役立つけど、ああいうことを知っていると英語や現代文の文章がずっと読みやすくなるんだよね。当たり前だけど、わかんないことが書いてある文章よりもわかってることが書いてある文章のほうが読みやすいわけだから。だから、大学受験で出る文章、つまり大学にいる人たちがいま興味を持ってる話をたくさんしてるんだよね。

 

 ただまあ、入試のときはそれでいいけど、本当の文章を読む力ってのは、むしろわからない文章を読む力のほうで、たとえば以前話したことだけど、大学の大きな仕事の一つっていうのは、外国語で書かれたものを日本語に翻訳して伝えることで、そこでもうわかってることを伝えたって意味無いでしょう。まだ日本語になってなくて、日本に伝わってないことを伝えなきゃいけない。自分で本を読んで勉強するときも同じだよね。もう知ってることをいくら読んだって意味は無くて、知らないことを読んで学ぶから勉強になるわけでしょう。とくに、自分にはまったく無かった考え方や概念を獲得するには、まったくわからない文章を読む必要があるよね。

 そういうときに、普段やってもらってる地道な作業が役に立つんだよね。わからない単語を全部調べて、とりあえず直訳して、それで意味がよくわからないようだったら、単語のどの意味を採用するのか辞書とにらめっこして、比喩的な意味や省略なんかも考えて、それでもわからなかったら一旦置いておいて先を読んで文脈を捉えてみて、で、授業で僕が背景知識とかの話をすると。わかんない文章をなんとか読もうとしたらこうするしかないんだよね。この文章の読み方は、もちろん英語だけじゃなくて日本語の文章を読む時も同じで、文章からなにか新しいことを学ぼうと思ったら、こういう読み方をするしかないんだよ。

 

 というわけで、来週の文章もちょっと難しいんだよね、でもこういう力を身に着けてほしいからさ、徹底的に調べた後で、わかんないところもなんとか推測してみて。今日みたいに、つまりどういう意味だと思った? とか、要するにどういう話だった? とかって色々きくから。正直かなり大変、かなり大変な作業だと思うけど、まあお互い頑張っていきましょう。

 じゃあ、今日はこれくらいで。ありがとうございました。

 

 

 TVerってあるじゃないですか。民放のほとんどのドラマと一部のバラエティはここで観れるので、最近はテレビをスポーツ以外ではほとんどライヴで観なくなりました。

 それで、じつはTVerは一部の関西ローカル? の番組も配信しているんですよね。そのなかでも、4月に入ってからTVerの配信は無くなった? みたいなんですけど(いまでも番組HPでは観れます)、「わざわざ言うテレビ」っていう番組を気に入っていて、ほぼ毎週視聴しています。

 この番組は、メッセンジャー黒田、ウーマンラッシュアワー村本、マギーの3人がレギュラーなのですが、先日、マギーの不倫が報じられたときの村本のこの番組での対応がすばらしかったんですよ(ついでに言うと、ベッキーの不倫のときの「人生のパイセンTV」での若林の対応もよかった)。


ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT #18| AbemaSPECIAL【AbemaTV】

 実はこの村本の対応には伏線があって、AbemaTVで村本がやっている「土曜The NIGHT」という番組の宮台真司回が不倫報道の少し前にあったんですね。そこで芸能人の不倫報道についての話があって、おそらくそれに影響を受けているのだろうと。

 話の筋がすこし反れますが、この宮台回はおもしろかったです。村本云々よりも、普通に宮台がおもしろい。実は彼の著書は一冊も読んだことが無いのですが、そのうち読もうという気になります。あと、もう一人水道橋博士が出演しているのですが、彼が典型的な教条的ニワカ知識人として村本に先輩風を吹かせていて、偉そうに本を読めよとか言ったりしているんですけれども、宮台が苦笑しながら直接には否定せずに全然違うことを言うっていう空気が最高におもしろいです。宮台は大黒魔導士だからね。

 「土曜The NIGHT」もけっこう気になる番組なのですが、こちらはバラエティ番組のレヴェルの濃さではなくて、モンハンやりながら観るってことができないのでほとんど観れてません。唯一他に観たのは先日の茂木健一郎回で、茂木はおそらくその直後に「わざわざ言うテレビ」のほうにも出演しているんですよね。その「わざわざ」のほうの茂木回は、いま番組HPで観れる回の一つ前なのですが…(視聴期限に間に合うように記事を書く元気が無かった)

www.youtube.com

4/15 とりあえずカシオレ

  •  難しく書くことについて

  「難しく読むことについて」、「翻って、難しく書くことについて」という続きものを構想したのだけれどもどうせ完遂できないので、先に構想だけ開示しておきましょう。順番通りに書くだけマシ。

 なんか最近「わかりやすい」哲学書が立て続けに出てるそうで、それに対抗してもう一度私の立場を擁護しておかないとね、ということだけれども、この話題、とくに難しく書くことの文学的、というかエンタメ的価値については『マージナリア』第3号に寄稿した文章(とそれをベースにしゃべったダールグレンラジオ)で語りつくしたところがあるので、今回は政治的な側面から。

  これをみたときは正直、おじいちゃん…、おお、もう…、となってしまって、いまでもこういうのはマズイと思うのだけれど、じゃあお前の文体はどうなんだという批判に頭のなかで応答してみようということです。

 まず、そういう「味方の結束を固める」ような言説が存在してはいけない、ということではないにせよ、そういうのはサルでもできるのでゴリラにやらせておけばよくて、私自身ははそういうことをやるのは恥だと思うし、受容者も「真実」でテンション上がっちゃうんじゃなくて「ああ^~結束固められてるぅ^~」くらいはわかる程度には賢くなってくれれば、そのような言説は効力を失って自然消滅する、すればいいですよね。

 それでは「わかる人にしかわからない」ようなツイートしかしないお前はどうなんだ、という問題なんだけれども、私のツイートは届く範囲こそ狭いかもしれないけれども、「結束を固める」ようにはまったく機能していないことをわかってほしい。とにかく孤独であるという感覚が強くて、だから一番近いところにある人を遠慮がちに翻意してくれるつもりになってくれるように魅力を放つ、ことそれだけのことをしているつもり。遠いところにあるマスに働きかけて目先の「成果」を求めて、微温的中途半端なバカを生産するよりは、ずっと機能的なことをしているつもりだ。


私立恵比寿中学 「ハイタテキ!」Music Video

 昨日はずっとこの曲をかけていた。

 リリース当初は興味が無かったのだけれど、先日ふとTAKUYAのツイキャスで流れてたのを聞いて心に留まり、たまたま今日にぴったりハマった。

 エビ中は優希を演じてたぁぃぁぃしか知らないんだけれども、彼女は声が特徴的でよい。優希の怪演もエネルギーがすごかったし、今後の活動に少し興味が持てる人かも。

  実際には最初はこちらを聴いていたのだけれど(ギターが聴きたいので)、そのうちに原曲にも慣れてきた。

  あとはこういう動画もある。最高の贅沢、一生モノだろうね。

 記録的な珍オーダーだったので、まずはそれを掲げておきましょう。

  1番:桑原(中)、2番佐野(右)、3番:ロペス(一)、

  4番:筒香(左)、5番:宮崎(三)、6番:田中浩(二)、

  7番戸柱(捕)、8番ウィーランド)、9番倉本(遊)。

 この起用の意図を確認していくと、まず2番佐野は欠場した梶谷の代役。ただし総合力で外野の四番手は関根だという見方がファンの間では強いと思うので、それに反して佐野というのは、打撃だけに限れば佐野>関根という評価なのか、あるいはこの時期は佐野を多めに試したいということか。戸柱は2試合続けての7番、成績だけ見れば打てる選手ではないけど、昨季チーム内ホームラン一番乗りの一発や、今オフの打撃を課題と認識している旨の発言などから、8番固定で終わって欲しくない選手だと思う。実際昨日もタイムリーツーベース打ったし。

 8番ピッチャーウィーランド、たしかに打撃は明らかに投手レヴェルではないし、これだけ好投するのだから(野手が足を引っ張らなければ)今季二ケタは堅いと思う。9番倉本、やはり打撃に関して最後通牒のサインを読み取るのが自然だと思う。ただ、打撃が投手以下なら守備重視で柴田にしようという話になるし(自分は守備は柴田>倉本だと思うけど、現場のプロの判断はそうではないのかもしれない)、そもそも白崎をショートで準備させてない首脳陣の失点も大きいと思う。

 10回裏は関根が一人でダイヤモンドを一周した。ポジションが空いてないけど、今年覚醒する兆しは十分ある。

 あと、ハマスタのインタビュアーがそび糞なので光の速さで解雇してほしい。為末さんも最近言っていた問題で、スポーツメディアが糞だし特にインタビュアーが糞。この問題はそのうち語ると思います。

 

 なんかまた「社会適合」とかくだらないこと考えてるなぁと思って苛立ってたんだけど、ゲンシュンさんがいいこと言ったので今日は終わり! 「変身と主体」の問題をここで垂れ流すのは少しもったいないという感覚もある。

4/14 「ひとつだけ」

 「昨日のベイスターズ」っていう定番コーナーができる予定だったんだけどね、語ることが無いというか語る気が起きない試合が二試合続いたのでこういう形になりました。野球とかスポーツの話をする場がないものだから、書くことがいっぱいあるような気になっていたのだけれども、実は自分が語れることはこの程度なのかも。

 自分は2013年、つまりは藤井やコーコランがヘロヘロになりながらここ十数年で唯一阪神に勝ち越した年に、はじめて本格的に野球を観るようになったこともあって、普通の横浜ファンに比べると阪神に苦手意識はないと思うのだけれども、去年みたいなのが今年も続くとさすがにそういうわけにもいかなくなるかもしれない。ヤマヤスなんて今年は内容もある投球をしてたのに、なんであんなに阪神にカモられてるんだろうか、まったくわからない。

  • 音楽ファイルの評価機能の話

 音楽ファイルに★5つまでの評価をつけられる機能ってあるじゃないですか。自分はいまはまったく使っていないのですが、携帯音楽プレイヤーを使い始めた当時は利用していました。

 最初はただ主観的に、「めちゃめちゃハマってる曲」は★5とかって感じで評価をつけていたんですけど、それをやると、新しいアルバムを買うたびにその収録曲が爆上げして以前の★5を格下げすることになったり(過去にハマってた曲がそうでもなくなってることに気づくのってツラいよね)、「★3以上」とかの条件指定プレイリストに「なんでこの曲が入ってこの曲が入ってねーんだよ」ってなったりするので、当時の自分は一念発起して「自分の各曲への評価を客観的に数値化しよう」と思ったのである。

 その方法というのは、こうである。

  1. 各ファイルの再生回数を記録することができる再生機器を用いる。
  2. 調査期間のあいだは、全曲シャッフルのみで音楽を聴く。
  3. 聞きたくない曲はスキップしてもよいが、連続してスキップする回数に上限を設ける(実際にはなにも考えずに5回に設定)。

 これで各曲の再生回数の割合のデータを集めることができる。この割合の偏りから各曲が「残りスキップ回数が何回のときまでは再生されているか」が逆算でき、「自分の「聞きたくない」という直観的判断が期待値に関して合理的であった」という仮定を置くことで、そこから各曲の評価値を計算できると考えたのだ(なお、具体的な計算方法はデータが集まってから考えればいいやということでなにも考えていなかった。たぶん求められるということ自体は間違いではないはず)

 ところが、実際に調査を始めてみるとこの方法には多くの大きな欠陥があって、まず、「残りスキップ回数が少ないからこの曲で妥協しよう」という思考回路が自分にはぜんぜんなくて結局本能のおもむくままに聞きたくない曲は飛ばすので、「聞く曲」と「聞かない曲」に二極化するだけで(慣れてきたころにはむしろ再生時間が短い曲で妥協するケースが多かった)、結果5回のスキップ回数を使い切ってしまい聞きたくもない曲を聞くというケースが頻発、ていうかそもそも聞きたいときに聞きたい曲を聴けないのがつらいという至極真っ当な問題まであって、数か月は粘ったんだけど頓挫した、という話。

 

 神経症の一症例として。

 

 説明を要するディテール的に、Twitterではなかなかできないここならではの話かも。

 しょっちゅう思っていたことなのだけれども、UTDのオタク共精神病関係の話題多いくせに精神病理に関する視野が狭窄してて呆れることホント多い、そういう系の人文書読んだら? 『狂気の歴史』とか。